最新の研究成果に基づき、数々のピンチを生き抜いた人類進化の物語3回シリーズです。
2018年7月15日にNHK総合で放送の『人類誕生』第3集は「ホモ・サピエンス ついに日本へ!」です。
ホモ・エレクトスもネアンデルタール人も日本に来ることができませんでした。
極寒の大地や大海原をサピエンスだけが乗り越えることができたのです。
ホモサピエンスだけが持っていたある能力によって、大海原と極寒の大地を超えて地球の隅々まで広がった原動力だったのです。
どんな能力だったのでしょうか。
日本列島に南からやってきたホモ・サピエンス
石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡 から27000年前から2万年前の人骨が発掘されました。
日本最古の全身骨格で白保人と名づけられました。
外耳道骨腫、別名サーファーズ・イヤーともいわれるもので、いサーフィンをする人や海女さんなど頻繁に海に入る人によく見られるものです。
つまり白保人は日常的に海に親しんで暮らしていたと考えられています。
3万年前、東南アジアの海水面が今より80 メートルほど低く、スンダランドと呼ばれる巨大な陸地が広がっていました。
近年,,このエリアでホモ・サピエンスの遺跡が相次いで発見されています。
サピエンスの文化はヨーロッパで発展したと考えられてきましたが、ヨーロッパで発見されたショーヴエ洞窟よりもアジアで新しく見つかった壁画は2000年以上古いものでした。
東南アジア周辺中でも最も日本列島に近いのは当時大陸と陸続きだった台湾です。
八仙洞遺跡では石垣島の遺跡と同じ時代およそ3万年前の石器がたくさん出土しています。
ホモ・サピエンスは、台湾から海を渡って日本列島にやってきたそう考えるのが一番自然です。
しかし台湾から遥か彼方に見える島に、どうやって大海原を渡ったのかそれは大いなる謎です。
日本列島に北からやってきたホモ・サピエンス
シベリアからホモサピエンスが渡ってきたと考えられる証拠が北海道の柏台1遺跡から見つかっています。
およそ25000年前の細石刃(さいせきじん)は、薄く鋭いカミソリのような石器です。
動物の骨のを掘った骨に掘った溝にたくさん並べて取り付けて考えられています。
細石刃はシベリアのストゥデョノエ2遺跡からも見つかっています。
このことからシベリアを2万5000年前までに北海道まで渡ってきた人たちがいたと考えられています。
当時極北の大地には獲物となる大型動物がたくさんいたらしいのです。
食べ物には困らないみたいですけど問題は寒さ対策です。
ロシアのヤナRHS 遺跡からマンモスの骨などで作られた縫い針が見つかりました。
縫い針によって寒さから身を守る精巧な防寒着が作られました。
この地域では今も伝統的なトナカイ革のコートが手作業で作られています。
体温を逃がさない縫い針によって作られる防寒着こそが人類を極寒の地へと推し進めたのです。
3万年前の航海徹底再現プロジェクト
台湾から沖縄の島々へ3万年前のご先祖様はどうやって海を越えたのか解明するプロジェクトです。
当時の人になりきって、当時の道具を使って船を作り、実際に海を渡ります。
これは実験考古学と呼ばれています。
まずは、島々に自生するヒメガマという植物で、沖縄の遺跡で見つかった貝で刈り取りに使い草舟を作りました。
草舟は思った以上に水の抵抗を受けやすく、スピードが出ないため、潮に流されしまいました。
次に竹で、3万年前と同じように石を割って石器で切り出し竹舟を作りました。
結局黒潮の流れに打ち勝てず、想定外のところに流されてしまい失敗しました。
オーストラリアのマジェベベ遺跡で世界最古の斧が見つかりました。
打撃力は10倍近くになるといい、木を切り倒し、くりぬいて丸木舟を作ることができるようになりました。
3万年前沖縄に渡ってきたホモ・サピエンスは、性能の良い丸木舟を持っていたのではないかと考えられます。
試してみると丸木舟は、草舟や竹舟に比べ水の抵抗が少なく圧倒的に推進力は大きいことがわかりました。
この結果を携え、2019年台湾から与那国島への航海に挑む予定です。
まとめ
ホモ・サピエンスは、大海原を超えたり、極寒の大地を超えて日本にやってきました。
アフリカから見ると、本当に遠い旅路です。
それでも旅しようとしたのは、獲物を追ってきたということもあるでしょうが、やってやれないことはないと思ったご先祖様がいたということなんだと思います。
斧や縫い針を作ったことで、生活に大革命がおこりました。
考えると、今でも斧や縫い針は使っていますよね。
ご先祖様の発明を今でも有難く使わせていただいているのですね。
丸木舟での台湾から与那国島への航海、楽しみにしています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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