ダイアモンド博士の”ヒトの秘密” 第10回 集団虐殺(ジェノサイド)はなくせるのか

ダイアモンド博士の”ヒトの秘密”

ダイアモンド博士の”ヒトの秘密 その他の回

『第三のチンパンジー』の著者  ジャレド・ダイアモンド博士(カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授)が 進化の謎を紐解きながら人間の本質を探ります。

2018年3月9日に放送の『ダイアモンド博士の”ヒトの秘密”』第10回は「集団虐殺(ジェノサイド)はなくせるのか」です。

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殺人・戦争・集団虐殺とは

戦争の本質はたった一人ではなく多くの人を殺すことです。
個人ではなく政府によって命令されて殺します。
多くの戦争では他の国の人が殺戮の対象ですが、内戦の場合は同じ社会の中の別のグループの人を殺害することがあります。
戦争でも内戦でも相手を殺すことは、違法ではないどころか殺さないと罪に問われます。
一方、戦争ではない平時では殺すことが違法です。

集団虐殺の定義については諸説あります。
一般的には戦争や紛争などである特定のグループの人々を抹殺しようと大量に殺戮したり迫害することです。
20世紀は数々の集団虐殺が起きています。
ナチスによるユダヤ人やロマの人たちの殺害、オスマン帝国のアルメニア人虐殺などです。

動物も殺します。
餌として食べるために他の種を殺すだけでなく、同じ種同士1対1で殺しあったりすることもあります。
オスの場合は、ライバルのオスと戦い、勝者が相手の縄張りやそのパートナーだったメスを奪い取るのです。
一対一だけでなく、群れ同士で殺しあう戦争も見られます。

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文明社会と集団虐殺(ジェノサイド)

文明を発展させたヒトは、宗教や法律などによって安易な殺し合いに歯止めをかけようとしました。
ところが、人の歴史ではそれらが人を正当化するために使われることもしばしばありました。

集団虐殺では、特定のグループが対象になってしまうことがあります。
集団虐殺を行う時必ずあるのが我々対彼らの発想です。
よそものを排他的に攻撃・排除して、自分たちだけは生き残ろうとする発想です。

例えば宗教ナチスによるユダヤ教信者の虐殺もその一例です。
アルビジョワ十字軍は同じ宗教の異端派を弾圧したことで知られています。

1973年にチリで起きた軍事クーデターでは、軍事政権は左派のチリ人をかなり残酷な方法で抹殺しました。
アルゼンチンやインドネシアでは軍事政権が急進左派や共産党員を抹殺を画策。
カンボジアでは ポルポト派が知識人を虐殺し国民の4人に1人が犠牲となりました。
集団虐殺は現代社会の問題なのです。

問題解決のヒントを探る

現代社会でも部族社会でも、しばしば虐殺が起こります。
亡くなった人の総数は現代の方が多いですが、伝統の社会の方が人口比で見ると亡くなった人の割合が高いのです。
なぜ、現代社会の方が人口比でみると亡くなった人が少ないのでしょうか。

一つにはいわゆる部族社会は中央政府がないのが原因です。
中央集権政府は時に戦争布告しますが平和条約を結ぶこともできます。
伝統社会では宣戦布告もない一方で、平和条約もありません。
たとえ争いが終わって停戦に至っても、短気で熱しやすい人たちはまた勝手に攻撃を仕掛けるかもしれません。
伝統の社会にはこれを止める中央政府がないのです。
その結果殺し合いは、期間限定ではなく永遠と続くのです。

二つ目の理由はモラルです。
部族社会は、他のグループを殺すというモラルの葛藤がないのかもしれません。
子供達も戦士たちが集落に凱旋してきて殺戮を賞賛されるのを見て育つと、躊躇を感じなくなります。
一方現代人は殺してはいけないと学びます。
しかし戦争になると18歳の少年が突然銃を渡されるそれまで言われてきたことを忘れて上官に命令されて人を殺すのです。
ずっと人殺しはダメだと言われてきたのに急に殺せと命令され人を殺し混乱してしまうのです.

グローバル化の影響で、旅行したりテレビを見たり外国の人を身近に感じるようになりました。
こういったことの積み重ねによって第二次世界大戦など大規模な殺戮があったにも関わらず、暴力で命を落とす人の割合は減少しました。

集団虐殺が動物から引き継いだ人の本質に深く根付いているのですが、一方で人はその悲劇を減らすためなんとか進んでいるようです。

まとめ

集団虐殺が動物から引き継いでいるものだから仕方ない、と考えるととても苦しくなりますが、
人口比から見ると命を落とす人の割合が減ってきていると聞いて少しホッとしました。

戦争や集団殺戮を避けるために知恵を絞って、理解し合うことが、ヒトがこれからもっと進化していかなければいけない点ですね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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